人の幸せを願うこと。

子供時代は、自分のしたいこと、自分の欲することは
「ぜったいそんなことしちゃだめ」と、自分以外の人に否定され
したいこととは選べないものというのが、
当たり前な、時間だった。
なので子供時代に常に感じていたことは
「どうしてやりたいことを選んではいけないのだろう、どうして怒られてしまうのだろう
どうしてやりたいことができないのだろう。」という疑問であった。
子供ながらに絞り出す答えは「それはわたしが無力だからだ」であり
自分のしたいことを選べば人が悲しみ、怒るという基準を知った。
そして当然ながら人の怒りには恐怖を感じ、人が喜べば嬉しいので
自分がほっとする境地に辿り着くために選ぶ道として
人の気持ちを酌み人の希望を選ぶ方法しか、
できなかった。
実際に無知で無力すぎた。
「子供とは、自分のしたいことはできないのが当然」と言い聞かせ、
自分を選ばず人の気持ちを選ぶ方が楽で怒りや悲しみを近付かせなくて、
その方がまだ幸せだからと選択に何の疑問も持たずに、
しかし充分混乱し苦しんで、
混乱から逃れるように惰性で、
生きていたような気がする。

苦しいのに、
それはほんの小さな幸せを選んだ結果でもあったからだ。

本当の幸せの素晴らしさを、知らなかった。

そして今、わたしはこの子供時代はもう誰にも受け継ぎたくないと
心底思う。
未だに子供時代の中にいる人がいるなら、救い出したいのは
わたしが心から心から欲する行為だ。
人の幸せを心から願うということが
自分の安心や幸せや楽さを選ぶことではなく

自分はちょっとだけ苦しい場合もあると、
充分に、知っている。

強さを持つことができたのが子供時代のためなら
わたしはその時代が充分に、愛おしい。

「あなたが選ぶことを
あなたの責任として受け入れるのも、大事なことだから」と
他人の生き方を尊重する行為はとても
心配で不安で未知で見ていられないものかもしれない。
それでも乗り越えるところはきっと、人を変えることではなく
他人の道を決めることではなく
自分の知らなかった新しい領域を、上書きして行くことなのだと思う。
[PR]
by nemo_yuka | 2010-03-08 15:29