ゆとりがある方が手を。

言葉を発するタイミングについて最近思う。
だいたい人に提言したいときって、自分にこそ言うべきことでもあったりするんだ。
ふと言葉を押し込める。というか発するべきじゃないじゃんと気付く。
余裕ないうちは止めておく。
ここに書いてるのは徒然なるままの独り言。
個人に話す時は、大きく広く考える大変さもたくさん。
ああ、めんどくさいからと、止めておく。

だって自分の普通は、人にとって普通じゃないかもしれない。
大きく大きく、自分も人も両方見て、
何故問題に感じるか自分の心に確かめなくては、
まちがったこと話して人を傷つけたりしちゃうかもしれない。

言葉を発するタイミングは、きっと
自分の心にそれを問うた余裕の後に、やってくる。


正論ばかりが正しいわけではない。
状況も理論も、ひとつでは測りしれない。
どんな状況が絡んでいたか読み込むと、正論ばかりが浮上しない。
そもそも、正論も普通も嘘も、本当に正しいものなんて当てはめてみなくてはわからない。
当てはまるものが、ただ正しいこととなるだけだ。
わたしたちは常識や規則や経験に縛られがち。

ふと、余裕のある場所に立ち返ると、
いくらでも人は人を自由に見られるし、自分の傘の中に入れないでいられる。
雨が心地よくて濡れても、誰にも怒られたりしない。
人は自由で
傘に入れることばかりが人のためとは限らない。

思い遣りだけで、人とつながれたら、どんなに素敵だろう。
どうしてときどき自分のことだけ見て人を思い遣れない気持ちで、
つながろうとしてしまうんだろう。

余裕のないときに発したことや
当てはまらないのに無理矢理押し込んだ持論が
なんだかぽこぽこと平たくない空間を作る。

余裕が、こんなに大事だなんて。
余裕のある方が余裕のない方を助けられればいいだけだ。
余裕がなければ無理しないでいいよ。きっと。
きっといつか余裕のある人が助けてくれるのだもの。
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by nemo_yuka | 2010-07-23 19:28