無意識に敬えること 心の品の部分 表現活動

中学校同級生に会って、センチメンタル。
和んだし、好きな人ばかりだった。
身長が同じくらいで、移動時にいつも一緒で
踊ったりギャグを言い合ったりしてた子は、教師になっていた。
こうして縁がまた繋げて、すごく嬉しかった。
今の子どもの傾向なども聞かせてもらってありがたかった。
小学校の林間学校で、なぜか花札をわかりやすく教えてもらって憧れてた子は、
相変わらずかっこよくて、みんな感動してた。
泣いちゃった!という人がいるくらい、みんなが会えて喜んでいた。
あんがい近くに住んでる人も多く、こんなに気が合いそうなんだと
新たな気持ちで会うことができる人も多かった。
一緒に何かできそうだ、と思える再会。
それは尊敬の気持ちと、心の品格が高い彼らの力だ。
会えたことにありがと。
やっぱり二次会の方が大事だったのかもしれないにゃあ。

中学校の時は、少し無理してて、
ちょっと不良っぽい子の方が優しく深くて、今だったら素直にもっと仲良くできるし
いじわるをする人も実際いて、クールに我慢して傍観してたところがあったけど
そうゆうことを言うのは決して不良っぽい子ではなく、勉強ができる子とかだった。
なんだろう、本当の品の良さはなんだろうと
あの頃に学んだし、ベースができた気がする。
心が品を作り、それは表面ではわかりにくかった。
もちろん先生もわかってなかった。
それでも知ることができた時代だった気がする。

テーブルを囲んだ人たちをとても好きだったこととか
もっともっと話したかった人がいたりとか
一言で中学校時代の感覚を思い起こさせられたりとか
本当はみんな色んな経験があり変わってるはずなのに
それを酌んで会えることの大事さみたいなのを考えた。
変わらないままではなく
大人になりつつも、変わらない心の芯の部分や綺麗さが
変わらなく見えたり、これからの縁をつなぐのだと思う。
それくらい20年って簡単な時間じゃない。
だからお互いを敬い合わないと、縁はつなげないものだよーと
中学校時代の、見られてなかったけど気になってたことがなんなのか
わかった気がした。
やっぱりつながっていく縁は
無意識にどこか敬い合える関係なんだと思う。
どんな仕事でも主婦でもフリーターでも敬う気持ちを感じることができるしそれは、
自分の心の品の部分が
感じさせてくれるんだと思う。
人をばかにできるだけのものは誰だって持ち合わせていないし
そんな風に思ったら自分の品が下がるだけなのだと
あの頃の方がもっともっと、無意識下にできていた。
今はなんか発信しちゃうから下品^^;
でもきっと表現とはそうゆうものなのだろう〜と思う。
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by nemo_yuka | 2010-10-26 16:08