にほんのいまにつながるようなこと

さっき、教育は強制だって意見を聞いて
びっくりして衝撃で、それは制作のテーマだからなのだけど
すこし考えた。

強制しないとストレスに勝つ人材は作れないって。

わたしは真逆に考えていて
自ら考えられて自信を持てたとき、ストレスに勝つ強さも得られると
教職経験から考えるに至った。

教育とは、個が自信を得られるよう力添えすることで、
教師は、正しい道を開く役はあるけど、
強制のように道を先導しては、
個は自らが切り開く自信も強さも思考能力も瞬発性も得られないもの…と思うのだけど

いろんな意見の教師と触れて混乱するのも教育という意見もあって。

でも十代になる前は子どもは従う100%だし
十代の教育や家庭に、従わせる日常がよくある中
強制に対する考察の混乱まであっては
本当に大事なことを自ら考える、いとまは確保しにくいのではないかなあって
思ったりした。

自らの頭で判断することは
「自らの内」の課題に向き合えたら十分で
人々の意見が違うという「他」の混乱のことまで考えなきゃならないのは
余計なものを抱えてしまって大変すぎないかな?って。

混乱について考えられるのは、余裕がなくちゃできないし。

今の日本の速い流れの中で、ふつうの生き方だと
余裕なんて作れるのかなあって。

また、強制は「あなたのために言ってる」という音の「要求」になる場合もある。
与えてるようで、「自分の意見に従ってよ」「言う事を聞いて気分よくして」という要求は
矛盾だ。
その矛盾に気付いたり、従うか従わないか判断できることは
確固とした芯を得る強さにかわると思うが
気付きや判断は、速い流れの中では
一瞬の技術と鍛錬がいるもので
なかなか難しい、気がする。

強制すると、余計な労力を使わせることになる。
そんな労力、教育にいるのかなあって。
ところが、気になった理由かもしれない。

子どものとき余計な労力がかかりすぎるのが
日本が病んでしまった理由じゃないのかなあって
思ったりもするからかな。。
by nemo_yuka | 2011-06-12 17:57