明るい光を見ること。

式でお世話になった旦那さんのお友達を招待して
筥崎宮迎賓館でふたたびディナー。
宴では食べられなかった4人だしね。
よいお友達に囲まれてるんだなあと、幸せな気持ちになった。
プランナーの方、レストランの方も、とてもあたたかかった。
ふとこうして周りを見渡すと
お仕事関係の方々にしても生徒さんにしてももちろんお友達にも
尊敬できるところがたくさんあって
人間としてすばらしい人たちと関わらせていただいてるなあとはっとして
これらが、わたしたちの世界の多くを作っているんだ!ととつぜん思えた。
なんだか夜空の星が降ってくるような気がした。
たぶん、すべての人がそうなんだろうな。
周りには、すばらしいひとたちが、ちゃんといる。
自分で、その人たちを見たり見なかったりしてしまうだけ。
見えていた方がずっといいな。
そう、式の前に連絡くれた人はたぶん旦那さんを好きだったんだと思う。
だけど公共の場で馬脚を露わしてしまって
旦那さんもとっくにその馬脚に気付いて着ぐるみだと見抜いてたから
なんか、そんな風に感じられてしまうのは、
とてももったいないよ〜と、思った。
せっかく綺麗さや若さを外面に持ってるんだから
中身を明かさないでいられたらモテモテなのに〜!!と
人ごとながら寂しかった。
あたしなんかよりずっとごまかせるのに〜
ツケマが浮いたり、お辞儀しただけで髪が乱れて写真が微妙〜
ってことにはならなかっただろうよ。。。

人にも動物にも品格がある。
どんな状態でもどんなお仕事でも
知性や感動を、彩った形で人に与えることができるように思う。
わたしたちが憧れる人たちには、そうゆう輝きが必ずある。
だけど品格も知性も感動も、
時に動物の方がずっと持ち合わせていることや
人が動物にも劣ることさえあるんだなあと
今回しみじみ知ることになった。
わたしたちの命には、品格が、まわりを被っているんだろう。
どんな命も輝いてるはずだけど、
品格を自らに問わなかったり磨かなければ、
輝きも見えなくなってしまう。
そんなのとってももったいないことだ。
私は表現者だからこうして書くことを取り品格を落とすのを覚悟のうちとしてるが
彼女が馬脚を見せてお里を世に知らしてしまったことは
新手の表現かというと違うし
意図も戦争とかにつながってしまう類のものなのだ。
自分の中に、低いレベルのものや戦争と同じ「気」を持っているならそのことに、
人はどんどん気付いて、解除できた方が、
生きる上でずっと大切だ。
わたしたちの仕事は
もしかしたらその解除のお手伝いでもあるかもしれないなあなんて
思ったりした。
撃ってしまった弾はもどせないし
打撃が当たってうれしい!と喜べる心は人の心じゃない。
人が人じゃなくなるなんて、やるせない。

だけど、ちゃんと人どうしのすばらしい関係も、目にしている。
喜びの気持ちこそ
人どうしが渡しあって行くべきものだ。
その気持ちは、どんな状態であって見つけることができるくらい
明るい光を放っていると思うのだ。
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by nemo_yuka | 2011-10-25 19:20