見えるもの、見えないもの、その量の同じさ。

わたしたちは喜びを選んで良いし
心地よく過ごしてよいはず。

人の住む襞には、さまざまな心情が存在する。
喜びも、そうでない気持ちも
どちらからも、
「発すること」ができてしまう。
手を動かしても、
動かさなくても。

「幸せを選んではだめだ、わたしと同じ苦労をするべきだ」
そして「そうしないと後悔しますよ」という言葉がある。

人がくるしくなったり、幸せを選ぶことを厭う気持ちになるのを
望んでしまう人がいて
彼らは、人が心を動かす言葉や心を痛める言葉を
巧みに投げかけることができて
人の人生を簡単に動かそうとする。

彼らは思い通りに人をコントロールしたい。
思い通りの中には、自分は心を痛めない、気分の悪くなることは含んでおらず
相手には犠牲を求めている。

相手は心を傷め、無理をし、心配し恐れるのを
望んでる彼らの心。

自分の要求のために、
相手が犠牲になるのを、望んでしまう気持ち。

決して暴力はふるわない、直接は手をくださない。
ただ、言葉に力や
相手の犠牲が気にならない心が在る。

身体は傷つかないけれど
心にぶつかる力の量は、暴力ほどに見える。
だけど見えない心は、誰にもさばけない。

どこから来るの?
子供時代?

目はこらさないけれど、
心の暴力の存在が知られてゆく世界にも
自然にあたりまえに
なっていったらいいなと、思った今日。
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by nemo_yuka | 2012-06-14 21:49