ささえや土台、またはその逆

友達が「いたい指摘を受けたのは自分のせいで、それを人に転嫁するほど不条理なことはない。」と言っていた。
そう、傷つくというのは「いたい指摘を受ける」ということではないの。
いたい指摘は自分の責任、それはありがたい言葉だ。

傷つく流れというのは、相手がいたい指摘を受けた時に
「あたしは悪くない、あなたの方がまちがってる!」となり
更に「みんなも言っているよ、他にもこんなひどいことしてるよね」など
そこには関係のない、傷つけるための言葉が追加されて返ってきたときに、
初めてついてしまうものなんだと思う。

だから、厳しい叱責や、いたい指摘は、
どんなに耳が痛くても、
傷つきはしない、感謝できるものでしかないの。

そして、傷つけるための言葉に出会ったら
「それを言っちゃあ、誰だって傷つくさー」くらいの
ゆるい認識を持っていていいと思うんだ。
傷ついた自分の弱さを責めなくていいと思う。
その言葉なら、誰だって無防備で傷ついちゃう、という類のものがあるのだ。
だってそのときに関係のない余計な言葉にはびっくりするもの。

そして、その認識不足こそ、傷を深める原因だったりする。

投げかけた方の責任ではなく、あくまでも受け取った方が
解決できること。
投げかける方を変えることも、止めることもできないものね。

もちろん自分が同じ状態になったら、
「傷つけるための余計な言葉を追加して返しちゃいけない!」って
肝に銘じておくのが大事。

でも投げかけはやってきてしまうこともある。

判断できればいいけれど。
わたしは小さい頃に「自分が悪いから怒られちゃうんだ」という意識をベースにしていて
現在もベースを引きずり、関係ない余計なことまで
責任を負ってしまうところがあった。苦笑(←だからやっぱり自分がわるい^^;)

自分のベースを知ることが、まずすることだけど
時間がかかるかもしれないし、内面を掘る苦しさもあるかもしれない。
もちろんベースに、すぐに自責にする感覚がなければ、
そして観察眼があれば、おかしな流れにはすぐ気付けるのだけど
おかしな流れは時に、身近な人や親しい人や大好きな人や大事にしてる人からも
もたらされる。
家族や血縁など、離れられない関係からもあるだろう。
それはなかなか気付きにくいし、本当の意味を知りたくない気持ちも働く。

それでも、守っていいと思う。健全な心や、自信を。
不条理な流れを断つことを。

本当の指摘は、ありがたいことだよ。
胸にいたくても、受け取っていいと思う。

その本来ありがたい気持ちを受け取れない人が返す「反撃」を
受け取らなくていいだけ。

どちらもいたい指摘だから、一見同じように見えるけど、
たぶん流れに矛盾があって
何に怒られてるか、わからないときは、
スルーでいいと思う。

人同士は、助け合って、支え合いたいものだと思う。
自分が立っていられない気持ちになるようなことは、
正しいと思わなくていいのかもしれない。
それに気付いたらもっと強く立てるのだから
どんなこともプラスだし!

どんな痛みも厳しい局面も、本当に大事なことは
未来に続き
その後も力強く支えられ、立ち上がらせてくれる。
苦しい時期を固めて土台にすることも、
きっと必ず誰しもが、できることなんだと思う。
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by nemo_yuka | 2012-11-30 19:12