喜びを知った

ふと思いついたのでメモ

結婚式の一ヶ月前ほどだろうか。祖母が危篤になった。
その後快復した様子を見て実の娘である母は
なにかとばたばたする式前のわたしを気遣って
祖母のことは言わないでいてくれた。

快復した状態の方で、判断してくれた。
わたしの状況を慮ってくれた。
そのことの優しさを思った。

ところが式の二週間前に
実際に危篤状態を見た人から
「おばあちゃんが危篤。看病が辛かった。死んじゃうかもしれないと不安」と
連絡があった。
わたしはすっかり動揺し、
九州と栃木という、すぐに顔を確認できないはがゆさでいっぱいになった。

結局母のせっかくの気遣いは生かされなかったけれど、
今頃になって、その結婚式というわたしにとっての一大事を
実の母の一大事より大事に思ってくれた母に対して
深謝を感じた。
そのことを感じさせてもらうための、
人それぞれの対応の違いを見る機会だったんだろう。

連絡をした人は、
結婚式2週間前に大事な人が危篤と聞いたり
すぐに顔を確認できない不安を経験してみて
はじめてその気持ちがどんなものか知るのだろう。
その時は想像ができなかっただけ。

だから後の「今連絡しないと自分が後悔するからしたまで」との言葉に
わたしの状況への関心の無さと
自分の大変さに関心を払ってほしい気持ちを知り
祖母を看られなかったことについて、謝れた。
たとえ式直前でも許されなかったこととして。

それでも母は許してくれた。
知らないでよいままにしてくれていた。

そして自分の気持ちを知ってほしいときに
相手の立場を見ないということを
母自身はもう、しなかった。
以前にあったことだったとしてもその時はすでに!

かつてと変わった状況が存在してるのに
かつてと同じことが別の形で繰り返され
かつてのショックと入り交じったに過ぎなかったんだ。

だから今も残っていたみたい。

でも、さっき、違うんだとわかった。
わたしは母に守られてた。
そちらが突然、際立った。
対照があることで。

その大きさを、喜ぼう。
って母は「快復したし、大丈夫ねっ!」くらいのノリだったけどね!笑

娘としての気持ちがまだ残っているのは驚きつつも、
だからこそ向き合えてよかった出来事となった。
経験は宝ね。
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by nemo_yuka | 2012-12-07 00:34