パーフェクトワールド

いろいろ、世界が明るくなる。

目の前にご病気の人がいたら、
その人の辛さを思うだけの
自分の感覚に気付いたり。

看る自分の辛さは、とても考えられない。

そんな当たりまえのことに気付いた。
看病の辛さの訴えを受けて。

それは自分は病気するというのがどうゆう痛みか
知ってるからだった。

病気の経験はずっと宝みたいに思えてきたけど
本当に今も、そう。
痛みを知ってることと、快復の喜びを知ってることは
宝。

もし身近な人の危篤を看たら
自分のことは考えられない。
むしろ人の危篤の状態しかわからない。
そうして快復すれば、ただ嬉しい。
辛さを乗り越えた喜びしか見えない。
健康であれば、どんなに大変な目にあっても
引きこもっても
なんとか歩けるし、座れるし、食べられるし、排泄もできるから
病気とは比べられない。
他の元気な人が、病気の人に会うか会わないかより
病気の人が快復することしか見られない。
それが自分の感覚だけれど
それは病気の状態を知ってるからだとしたら、
特別な感覚なのかな。
そうは思ってなかったんだなあ。
皆が当たり前であってほしいとどこかで希望してた。

でも経験がなかったら、病気をした人より
自分の辛さしか見えないのかもしれない。

それは未知の世界だし知ることはないけど
そうか、そうゆう世界もあるんだと
世界が広がったのは
とてもよかった。

未知の感覚を人に見ても
それはそれで良いの。
それがその人にとって、全てだから。
自分の方が良いとかでもなく
それぞれ、違った世界が見えるだけ。

ほんとうは、間違ってることなんて
何もないのかもしれない。
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by nemo_yuka | 2012-12-12 09:57