ネッコノアリカを探す

赤ちゃんと向き合ったときに感じる大変や孤独は
自分の子供時代の不足や孤独につながってないかな。

人に何かもたらされたときショックを逃せないのは
罪悪感が取れないからじゃない?

なんでそう思っちゃうの?
その気持ちはどこからやってくるんだろう?

辛いことほど、そう問えたらいいのかもしれない。
楽しめるなら、感謝して。

だってそれはどちらも、根っこに答えがあるんだもの。
根っこを育てた土の力もある。

ネッコノアリカを探しましょ。


小倉にいた期間というのは、人生でもとても強い時間だったかも。

震災直後にほぼカバンひとつでやってきて4ヶ月間突然住んだときの
穴蔵でうずくまってるみたいな気持ちとか
引越してすぐの結婚式に向かった
慣れない土地で起きたいろんなこと。
支援と、揺らぎと。

定まらないから起きるゆらゆら。

今年一年で、しっかり土を固められて
今は小倉にありがとうを言える。

こんなに強くて優しい場所は知らない。
関東の、やわらかく直接的じゃないものとは
全く違った、ダイレクトなものたち。
だから気付かせてもらったことも多かったんじゃないかな。
強いはっきりしたものから。

最近やっと、そのものがなんなのかわかった。
自分で内包してるものが、
まわりのすべてを包んでしまうこと。
外部のせいではないと、いつも思ってる、
それがなぜだかわかった。
自分の罪悪感や、処理できない気持ちが
外側まで覆っちゃうときがあるんだよ。

それでも外からのきっかけだってちゃんと存在するのも
わかった。
ただきっかけがやってきても、
それを吸い上げて処理するのは
自分。

もしそこで、罪悪感を感じなければ
楽しめれば笑えれば
全く違う未来になっちゃう!

そんな真ん中である自分の所在を
小倉の見守りの中で
おしえてもらえた。

持ち物がそれらを処理できなくさせるのねって明るくなったのは、
産み育てワークショップに参加して
子供を育てるのは大変 と聴いたり
近親者とのお仕事アップの日に
芸術はボランティアが当然なのに、お金のことばかり考えてる と言われたり
結婚パーティにおばあちゃんを呼ばないで と言われたとき
感じたことに、つながった。

持ち物しだいで
子育ても、大変ながらも孤独に感じなかったり
お仕事したことや祖母と会いたい気持ちに、罪悪感を感じないでいられたり
したんじゃないかな。

わたしは子供がいないから大変さはわからないけれど
罪悪感だけは、自分で持ってしまったものと、気付いた。

もちろんとっかかりはある。
赤ちゃんは思い通りにならないだろうし
あなたは間違ってると言われれば、自分は悪いと考える。

でもほがらかに対応することは、自分次第でできたのかもって
どんなに強烈なことでもって。

なんだかつくづく^^

根っこを育てたいし
幸せやほがらかさや安定や安心の
土でまわりを覆いたい!
それは自分の分だけじゃないことなんだよ、きっと。
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by nemo_yuka | 2012-12-21 19:42