破壊してしまったものは、もう二度と戻せない。けれど。

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人の行動は弱さを起源としてるのかもしれない。

理想は、ただ穏やかに見守られて過ごしたいが
自分の力ではどうにもならないことは必ずあり
そのことは、学びの機会。
解決を「内」に向けてゆくこと。

解決を「外」に向ける方法は、
安全な家の外へ爆弾を投げるような行為に見え
そうであってはいけないとそのとき強く思った。

投げた後すっきりしたり
後からその行為を反省したり
取り出した空間に新しい恵みを並べても
外を破壊してしまったら、
それは戦争を仕掛ける人の心理。

いくら豊穣を得ても、
わたしたちは愚かさを解消していなければ
破壊を繰り返してしまうものなのかもしれない。
それが親から子そして孫へずっと続いてしまったり。

弱さには、目を向けたくないものだ。
だからどうにか人を踏み台にしてみたり
比較の対象にして
自分を高みに確保しようとする。
または相手が自分の思い通りではないと
相手の方を変えようとする。

だけど弱さは誰しもの当然の持ち物と認められたなら
対峙は内を鍛えるチャンスだったり
人の弱さに寛容になるバランスをくれるんだろう。

向き合って選択するための装置がいつも目の前に用意されるのが、
人生な気がした。

外へ先に手をかけるのを、もう、止めて行かないと、
戦争も放射性物質の取り扱いもなくならない
のかもしれない。
豊かさや喜びも、新しい何かを得ることだけでは未来へ続かないのも
理解していかないといけないのかも。


破壊してしまったものは、もう二度と戻せないもの。


その光景がどんなものか、本当に見えたときに
止めるものは何かとか
見るものは何かが、見えてくるのかもしれない。

でもめちゃくちゃに破壊された土壌に立って
ぼろぼろになっていても
それでも芽を出す笑顔の種には
とても救われる。
内の、見えないところから湧き出すものが
地に根を、広げてくれるのかもしれない。
こんなふうにときどき力をもらって
わたしたちはそこにまた、建築してく。

赦される優しさや、栄養
土のおおらかさに甘んじるだけでは
本当には、豊穣の世界は作れないのを知ってゆく。

耕すことは骨が折れるけれど。
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by nemo_yuka | 2013-04-26 18:43