探しにいくための道を

パラレルワールドを覗いて描く今は、世界中のどこかの、力が湧いてる場所を探して描いてる、ような気がしている。

以前は故郷だったり、向こうから描いてと呼びかけてくる場所を描いていたから
現在の、どこにあるのと見つけに行ってる感覚は、冒険みたいでワクワクする。

どこにあるかわからないから、探検に体力は使うけど、楽しい。

身動きがとれなくなることがこの世で一番、つらい、それが必要のない罪悪感のせいだったら、
それが一番無駄なことだ。

わたしが故郷を探していた頃、
大切にしたいものや失ってたものがありすぎたことは我慢や犠牲が当たり前の感覚も備えてしまい
一度にそれらを覆そうと無理もしたように思う。
急いだのは、持ててないものへの渇望と、自分への罪悪感に起因していた。
ジブンガワルイカラ、ソコナッテルノダ
というような感覚は、なんとも悲しい。

それを削るところからきっと、新しい世界が広がる。

自分で縛った罪悪感を断ち切ることと
罪悪感を使って支配するものを遠ざけることは
自由に身動きする上で、たいへん必要なことに思う。

自由に、とは、なんでも言っていい、していいということではない。
人とのつながりを喜びながら
人からも自分の枠からも解放されて、
自由意志で、決めたり選んだりできることであり
そこには、人への思いやりが、寄り添っている。
愛情が寄り添っている。

だから反対にあたたかい手に包まれていることは
力を湧かせ
人への優しさになり
自由に決めても心強くいられる支えとなる気がする。

差し出すものは、その手でありたいし
絵は、そういった存在であってほしいと願いながら描いているのが、現在な気がした。

今は、届けたいものがよく見えている。

そうして道を奪ったり壊したりするものは
産み出さない覚悟も携えて。
未来へ続く道の前を塞ぐ、壁を壊す手伝いなら
喜んでしたいと思いながら。
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by nemo_yuka | 2013-05-12 09:44