コントロール

旦那さんとの関係の中で、いくつか彼の中にかかった鍵を開けたことがあるので
仕事をばりばりしてる彼からわたしは自立してると言われる。
でももちろんそうじゃない部分ばかりだし、そうだったからどうしようもないことに翻弄された数年になっていた。
それは親しい人からの「足りない!もっと頂戴」やら「幸せを選んじゃだめだ」やら
「言うことを聞かないと大変なことになる」というような、
本当に本当にどうしようもないことだとわかるのに
案外、意外と、動かされてしまったことの
理由の解消できなさのせいだった。
でもわたしはこれらを、やっぱり自分が呼んだと思ってるし
翻弄されないこともできるのがわかってるので
問題は自分の中にあるのは知っている。
それは依存であり、なぜそうなってしまったのかの根源も理解してるので
ちょっとさみしい気持ちがつきまとったりした。
それでも、さみしさもどうしようもなさも、放り投げなくてはならない!

これらのコニクイところは、「まちがってることを教えてあげてるのだから感謝しろ」とか「感謝は常識」という
こちらの良心や罪悪感を刺激する言葉で締めてくることだ。
どんなことも必ず最後は感謝に結びつくのは、実際はよくわかっているけれど
あまりにも強引で矢継ぎ早な要求だと、良心と罪悪感が操作できなくなって困ってしまった。
それでも、この自分の中にある問題(それは指摘された表層の箇所よりも、根底の)に
気付かせてもらったことは、本当にありがたい経験となった。

自分に問題があるというのは、
引き寄せたくせに、それらのコントロールもできなかったことだと思う。
すべての問題に、相手側からは欲を満たそうとする要求があって、
こちらはそれに無理して応えてしまう行動があった。
それらはでも、自分の中の問題や癖や間違いに気付くきっかけになったし
そういった人の行動があるというパタンの勉強や集積にもなったので
必要な経験だったと思う。

そうしてこの勉強はきっと、他の誰かの役にも立つだろう。いつか。
旦那さんの中の鍵を開けたように。

また、感謝に結びつくとしてもそれ以前、
世の中で大切なこととされている「感謝は大切」というイメージで、
人にもたらされたもの全てに感謝しなくてはいけない縛りになって
罪悪感にまでも縛られてしまうということには、
気をつけなくてはいけないと感じた。
大切なのは、中身を判断できることの方で、決して感謝に翻弄されてしまう気持ちではない。
判断できれば、最後は必ずありがたいことに思えるのだから
その時を信じて、目の前にない幻想に翻弄されることはないと感じた。

常識とか感謝とか、それらが自分の判断への道を何か操作するような気がした。
そしてそれを使って操作しようとするパタンもあると感じる。
しっかりしていれば大丈夫。
でもときどきこれらが、報道されるような事件も引き起こしたりもしてることは
理解していたいと思う。
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by nemo_yuka | 2013-06-05 21:59