Xの位置

とあるところで、書かれていたことに
すうっとなる。

それは
暴力には責任をとらなくていい、
暴力によって傷んだ心や、それによって動けなくなったことの、責任なんてあるわけがない、
それによって生まれてしまった依存には、何の責任もない
というような文。

肉体や言葉の暴力によって、足がすくんで、本当にしたいことを選べないとき
「選べなかったのは自己責任、それらを引き寄せたのは自分、
だから自分が悪い、自分の責任」という考えもある一方
「暴力がやってきた責任なんて、その傷みから派生した問題になんて、足がすくんでしまうようなことになんて、
責任があるはずがない」
という考えはそれとは真反対で
こう書くと、
こちらを当たり前に思っていいことのようなのに案外気付かなくて
ほどかれた気がした。

「自己責任」や「引き寄せの法則」「事象は自分の鏡」などの
大人の身だしなみである「良き思考」の定義が
利用されてるなんてことは。

支配がほどけないよう二重にしばるために使われてるとしたら。

そこにない
傷みに寄り添う思いやりや
こころを気遣う人間的な気持ちの方こそ思い出して

大切なこころの欠けを補えたらと思った。

当たり前の大切さを、まっさきに選べないくらいの状態なんて
手放しちゃえって
本当に全てのひとが、
思えたらいいことだなって思った。

20代の死亡率の一位は自殺だそうで、その数は半数にもなるようだけど
弱さを恥とし、隠れる方法としてそれを選んだり
人と比べてうまくいってないからダメだと思ってしまうこと
責任を放棄したい!と投げ出す気持ちやなんかは
「自己責任」という考えが一番手前に設定されての
行動なのかなと、ふと。

なんだろう、わたしたちは
誰のために。

自己責任という考えに覆われ
行動できなくなってしまうのなら
何に責任を負ってるのだろう。

行動の方は、ちゃんと責任が生じることは肝に留めて、

行動できなくなってしまうような意識には責任なんて持たないで
解放されてしまってもいいのかもなあと。

逆の方が多いような気がして。
行動言動には責任はとらない自由さがあるのに
行動できないことには責任を持てと糾弾するようなこと。
よく見る方が
間違った式なのかも。

コントロールが行われてしまうのは
「良きこと」が入ってる公式を見せられるからなのかな。

その位置が正しくないのに気付けなくって。
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by nemo_yuka | 2013-06-18 21:54