自己責任の語釈

自己責任という言葉が使われるとき、ときどき窮屈さが見えてたのは

「事後の変更はできないんだ」とする
他者に対して自分に対して、くくってしまうような縛りが見えたからに思う。

自己責任の本来の意味は
どんな決定も、すべて本人にしかできないものだと
未来も過去も今も、
自分に、人に、渡すような気持ち、
何の関与もしない気持ちにある。

ときどき違うイメージを感じてたのは
自分で考えさせる放置ではなく
一緒に考えない逃げなのに、コントロールはする
不思議なイメージ。

人が責任を持って考えていることは、
他者はジャッジできないし、介入できないけれど
介入して公使もできる、ある意味「逃げ」に、
自己責任という投げかけが使われてる。
都合のいい言葉になってるのは、かわいそうだな。

わたしも自己責任のイメージに迷いを持ってしまったことがある。
関東で結婚式の代わりの食事会を開こうと思ったとき。
そのとき「東京でやらなかったのは自己責任、またするのはおかしい」という意見と
「お祝いのお返しが足りない、食事会や記念品がなくてはおかしい」という、まったく違う方向からの
「責任をはたして」という要求があり
結果的に食事会は開かず、お返しは更に増やして
他者の要求の責任をはたしてしまったけどそれは
自分で決めるものへ責任をはたしたのではないことが重くのしかかった。
そのとき、自分の中の自己責任という言葉の鍵を開けておかないとと、つくづく思った。
とどまらせたり、動かせる言葉 として理解していてはいけない。

わたしは、まちがった語釈を人に与えないよう気をつけなくちゃ。
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by nemo_yuka | 2013-07-02 22:00