こども

こどもに携わって気付いた、
自分の変化にくらくらして過ごした一週間だった。

こどもの内面が痛いほどわかった。
いつからこんなに感じられるようになったんだろう。

こどもは罪がなく
被害者意識も持たず
一生懸命目の前の課題をこなす存在だった。

与えられたものに取り組もうと
努力する存在なのだった。

体が大きくなってゆく過程で
さまざまな世渡り手段を時に間違えた形で身に付けるのも
こどもだからのことだ。
それしか選べず、正しさも間違いも知らず
自由な気持ちで(それは解放という自由ではないこともある)行動していくのが
こどもの特権で、素晴らしさだと思った。

どこへでも行ける、すぐにでも変化できる。
目の前には選択が限りなく広がっている!


だからこそわたしたち大人は
道しるべになれるし、
道を用意する存在なのだと感じた。

まちがった道を用意するのは必ず大人だ。
こどもの自由を奪うのも大人でしかないんだ。

あの、正しいも間違いも自由に選べる存在たちに
もっともっと、素晴らしい世界を用意することができるのは
大人でしかないんだ、と。

わたしは痛感して、膝を思わずついてしまうような気持ちになった。

そうしてまた、嬉しくなった。
こどもは何も持っていない。可能性しかない。
可能性へのびる、光しか、内包していないんだと感じた。

根っこにあるのは光だけだった、兆しではなく。

わたしはそのことがとても、とても嬉しかった。



先日、年上の近親者との間に会話があった。旦那さんが横にいた。
東大の近くに住んでいたのを受けて
「あなた、東大病院の近くにいるんだったら今のうちに病院に行けば?」と彼女は言う。
わたしは「何の病気もないし、東大病院は紹介状がないと入れないよ」とまじめに応える
「だって、ほら前、肌が荒れていたじゃない、ひどくなっていて。見せてごらん、どうなった?」
隠していた蕁麻疹の痕を見せろと言う。
この蕁麻疹はこの会話が原因なのを知っている、わたしは隠していたいものを見せたくはないのだ。
病院に行く必要を日常的に思いたくない。
「そんなの見せたくないし、そういうことは言われたくないの。言われたくないことを言われるから蕁麻疹になっちゃうんだよ」思わず余計なことを返す。すると
「あんた、自律神経がおかしいんじゃないの?」

「お願い、そんなこと言わないで」
「更年期障害なんじゃないの?」
「そんなこと言われて嬉しいと思う?傷つくこと言わないで」

「またわたしばっかり悪者だ。あなたのことを思って言ってるのに」

そう結ばれた会話に
罪悪感と焦燥感を抱えぐったり疲れて帰路につくわたしを、旦那さんは
100%、悪者にしない。
その会話のマジックにも気付いている。
わかって、受け入れて、誰のせいにもせず
ただ完全なわたしの味方だった。

他者に、思いもしない否定を与えて
他者が拒絶すれば
彼らは被害者になれる。
被害者だとみんなに思われたくて
他者否定を繰り返す。ずっとずっと。
そんなどこかで身につけて来た、連綿と培われた方法の
そのどこかは、
幼い頃見た大人の姿に起因するだろう。

誰もわるくなく
誰もがこどもの気持ちのまま。

そのこどもに改めて気付くわたしも生まれてた。

まなざし、差し出す手も、
いつか目に入るだろう。

「やめて」と言えることの幸せさも。


こどもらが解放されて、本当に真から自由に
誰の目も気にせず、いやむしろ見せたくて
好きな場所で好きに動いてゆくのを見るのは
本当に、素晴らしいものだった。
こんな愛すべき時間はないと
そこに携われたことを、心から嬉しく思った。

強制でも責任でもなく
好きなことを好きなだけできること。
それをどこまでも見守ってもらえること。
安全と間違った行動は気にかけられながら、
学んでゆけること。
こどもに必要な時間はそういったものたち。
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by nemo_yuka | 2013-08-19 17:31