人の小さな水たまり

以前はきびしい弾劾に、心からあやまったり罪悪感を感じすぎたり
誤解であっても感謝しようとしてたけど、
今は自然に受け止められる。
そう思うなら、そう思っていていいよって、
ゆったり思うようになった。
不慣れなことは、不慣れな対応になるのは仕方がない、誰でもそれは同じ。 
突然のことがやって来てびっくりしても、
うん、それで君が楽になるなら出せば良いよ って
思える、いや思いたくなった(まだできるかわからないけれど)

上からとかでは決してなく。
もちろん相手の行動の意味が、わたしのためならば
厳しい文言でもありがたくいただいて。

相手が相手のために
他者に送るものの中には
誤解や、ただこちらにとってはくるしいものも
入れてたりする。

誤解に感謝したり
くるしいに身を投じるような
なんでも「素直に受け入れる」ことが
人にとって良いことでは決してない。

無理に受け入れることは、病を作ることもある。

今は、誤解なのは変わらず、くるしいのは変わらないとしても
相手がそうするしかできないなら
受け止めたいと思える。

ちょっと痛くても、そうかそうかとおおらかに。

だけど本当の攻撃のときは、
武器を手にした手段や、卑怯な方法なら
すぐに逃げ出す。

でも怒ったり反発はしない。
そうするしかできないのを、わかっていたい。

ずっと、もう二度と会えなくても
受け止めてたいと思う。

そうするしかできないときは
あるもの。

人の小さな水たまり
無理にはどかせない
そこに佇んでるようなものたちに
映る景色を
しずかに見る。
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by nemo_yuka | 2013-08-29 16:48